2017年07月31日

キッズコーナーにて・2

キッズコーナーでの出来事を知った夫は、こう言いました。

「ちょとの自由な買い物もできないなんて、辛い、生きづらい世の中だよね。」

予想外の言葉に、私は一瞬意味がわからなかったものの、すぐにあることを思い出してハッとしたのです。

思い出したのは、以前見たテレビ番組で、産後母親が孤独感や不安感に襲われ、産後うつにまでなってしまうのはなぜか、夜泣きやイヤイヤ期はなぜあるのか、産後の母親が夫に攻撃的になってしまうのはなぜか…などを科学的に解き明かしていく、といった内容のもの。
この出来事の半年ほど前、2人目育児にまだ慣れなかった私は興味深く見たのです。

その中で特に印象的だったのが、そもそも人間に埋め込まれた本能的な育児のあり方。
昔、人間が集落を作り、狩りをして暮らしていた頃。
昼間男性は狩りのために出かけ、女性は集まり助け合って家の仕事や育児などをしていました。
赤ちゃんのいる女性が、ちょっと用事があって出かける場合は、他の女性が赤ちゃんを預かります。貰い乳も当たり前。
助け合い、共同で行うのが育児であり、だからこそ人間は毎年のように子供を産むことができ、繁栄したと考えられているそうです。

産後の女性が不安感や孤独感を強く感じるのは、幸せやリラックスを感じるホルモンが出産を境に激減するから。
でも、出産した瞬間に始まる育児にこそ幸せ感やリラックスが必要なのでは、と思いますよね。じゃあなぜホルモンが激減するのか。
それは、本来の助け合いの育児へと母親を導くため、という説があるとのこと。
現代の日本で当たり前になりつつあるワンオペ育児は、本来人間ができるようなことではないのです。
産後うつが増加していることが問題になっていますが、体が助け合おうよという信号を出しているのに孤独な育児を続けるのですから、心のバランスを崩してしまうのも頷けます。

夫の言葉を聞いて、そんなことを一気に思い出して我に返った気がしました。
私の座右の銘は「気をたしかに」。
今私、気をたしかに持つことができていないのではないか?

もちろん、乱暴してしまいがちな子供を公共のスペースに黙って置き去りにしては危険だし、そのお母さんももう少し配慮が必要だったとは思います。

もしかしたら、レジに連れて行くとどこかに走って行ってしまったり、売り物をいたずらする、でもキッズコーナーならその中で夢中で遊ぶ、そんな状況だったのかもしれません。
その状況で自由に買い物をするための解決策があるとしたら、一言周りのお母さんたちに「ちょっとうちの子を見ていていただけませんか?」と声をかける、ということでしょう。
でも、今の社会というか、育児に関する一般常識で、そんなことが許してもらえる・受け入れてもらえるでしょうか。
もちろん快く受け入れられる、という人も中にはいるでしょうが、多くの人は「何で見ず知らずの他人の子を見なきゃいけないの?」と思うでしょう。私もそう思うと思います。

一方で、自分の子供が泣かされたら腹がたちます。子供を守れるのはお母さんだけだし、子供が頼って良いのもお母さんだけなのです。

それが普通だという風潮に知らず知らずのうちに私も染まっていて、気がたしかではない状況に気づいていないのではないか、と恐ろしくなったのです。

「今の社会が悪い」というだけで片付けてしまっては、みんなの中に積み重なっていくストレスをなくすことにはなりません。
「今の社会が悪い」という言葉に納得することで安心して、またさらにどっぷりとこの社会の風潮に溶け込んでしまっている。

私があの男の子に「お母さんは?」と聞いて「いなーい!」と言われた時、「じゃあ、一緒にお母さん探しに行こうか」とその子の手を引いてお母さんを探すなり、お店のスタッフさんに声をかけるなり、できたはず。
でもそんなこと、あの時点では考えにも及ばなかった。
それは、他人の子の面倒を見るなんて考えがこれっぽっちもないから。今自分の子を見ているんだから、他人の子なんて見ていられない。

他人と関わるのは面倒で、自分の育児は自分のやり方でやったほうが気持ち良いと感じている。
でもそれを実践していくと、本来の人間のあり方に逆らうために、心の重荷が積み重なっていく。
じゃあどうしたら良い?
どう折り合いをつければ良いのでしょうか。

核家族をなくすことは無理でしょう。
問題は育児のあり方。
たとえば、保育所の「就労している人が子供を預ける」という枠組み自体を考え直す時期なのではないかな、とか、ファミリーサポートみたいな事業をもっともっと広めるとか、高齢者施設や大学…いやそれに限らず皆んなが、もっともっと、保育について、助け合いの育児について関心を持っても良いのではないか、とか、なんだか色々思うわけです。

ああ、気をたしかに。
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posted by ふゆ at 13:32| Comment(0) | 子育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月30日

キッズコーナーにて・1

1年ほど前、とんがまだハイハイ〜つかまり立ちぐらいの時期のお話です。

休日。私・夫・子供2人でショッピングモールに出かけたら、「粘土でスイーツを作ろう」なんていうワークショップが開催されていて、工作大好きなぴよの目の輝きが止まらなかったわけです。

そこで、夫とぴよはその場でワークショップに参加、私ととんは近くのベビー用品売り場のキッズコーナーで遊ぶ、ということになりました。

キッズコーナーにとんを放牧してしばらく見ていると、ちょっと元気すぎる子がいるな、ということに気がつきました。
3歳ぐらいの男の子で、狭いキッズコーナーで走り回ったり、備品のクッションを投げたり、他の子が遊んでいるものを横取りしたり。
最初は母親らしき人と一緒にいたのですが、そのうち母親の姿は見えなくなって、その子一人でやりたい放題。どんどん小さな子が泣かされていくのです。
さすがに周りで見ていた他の保護者の人たちから、「ちょっとあの子ひどい」なんていう声が聞こえ始めました。
私もハラハラしながら見ていたら、案の定、つかまり立ちしているとんがその子に肩をぐいっと捕まれ、後ろへひっくり返されてしまいました。
びっくりしたとんは大泣き。
私はキッズコーナーに入って行って、その男の子の腕を掴み、「小さい子には優しくしようね。お母さんは?」と聞いたのです。
その子は早く次の遊びに行きたいのに、という感じでそわそわしながら「お母さん?しらなーい。いなーい。おかあさーーん」と言って私の手を振りほどき、また遊び始めました。
この時、私の頭を「ひょっとしたら、多動性障害とか、何か事情のある子なのかもしれない」という考えがよぎったのですが、どっちにしてもこれ以上このキッズコーナーにいるのも危険かな、と思い、そのまま泣いているとんを抱き上げて夫とぴよのいるワークショップの場所へ戻る支度を始めました。

すると、今いたキッズコーナーから、女性の怒鳴り声が聞こえてきたのです。
「どこに行ってたんですか!目を離しちゃだめじゃないですか!!」
見ると、乱暴していた男の子の母親が店内で買い物をして戻ってきたようで、それを取り囲んで複数の別の母親たちが怒鳴っていました。
「おたくの子に乱暴されて、何人も泣かされてるんですよ!どうしてちゃんと見ていないんですか?!」
一人に対して複数の攻撃。結構な剣幕です。

それを見て、「もしかしたら事情がある子供かもしれないし、公衆の面前であんなに怒られるのはちょっと気の毒」という気持ちと「母親なら乱暴しがちな子というのはわかっていただろうし、目を話すのはやっぱり非常識だよな」という気持ちとでモヤモヤしながら、でも私はその争いに関わるでもなく、その場を後にしたのです。

ワークショップの場所に行くと、ちょうどぴよの粘土スイーツが出来あがるところでした。
私は今あった出来事を、夫に詳しく話しました。
キッズコーナーに乱暴な子がいて、とんも泣かされたこと、母親が買い物で目を離していたこと、その母親は多勢の他の母親から攻撃されていたこと…。

私は、夫からはきっと「そんな乱暴な子もいるんだねえ」とか、「なんで目を離しちゃったんだろうね」とか、無難な答えが返ってくるのだろうと思っていました。
でも、違っていたのです。
その夫の言葉で、私はハッと我に返ることになります。

長くなりましたので、続きは次回!
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posted by ふゆ at 15:00| Comment(0) | 子育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月29日

保育園に慣れる、ということ

とん(1歳11ヶ月の息子)は今、保育園での一時保育の慣らし期間中。
…と言っても、5月中旬から週2で通っているんですけど。
なかなか給食を食べようとせず、「お昼が食べられないと、午後まで預かるのは無理」と言われてしまい、この約2ヶ月ずっと給食終了の12時にお迎えしているのです。

私が寄稿のお仕事を細々とやっているので、その執筆をするために始めた一時保育なんですが、9:30〜12:00という短い保育時間なためなかなか進まず(通常の保育園の申請はしてるけど、在宅の仕事という条件では入園は厳しく、待機児童になっているのです)。

5月に初めて預けた日から5回目ぐらいまでは、2時間半、ずっと泣いていました。

6月に入って、お外遊びは機嫌が良いけど、部屋に入ると泣く、ということが続きました。
部屋の中では出入り口から動こうとせず、靴を持って泣いていたそうです。

6月下旬には、徐々に泣くのは朝のお別れの時だけで、部屋の中でも機嫌よく遊ぶようになってきました。でも給食は頑として食べようとせず、他の子が食べるのをちらちら見つつも、食べさせようとすると拒否、が続きました。
お迎え後に私が食べさせようとしても拒否。保育士さんからは「ママでもダメなら、私たちで食べさせるのは絶対無理ですから…」と。
さぞかしお腹が空くだろうと、りんごやおにぎりを持参して帰り道で食べさせたりしていたんだけど、それをすると「どうせ帰りにもらえるから」と思ってしまうのでやめるべき、と指導され、お腹が空いたまま何も与えず約50分の道のりを帰る日が続きました。

7月7日、七夕の日。給食は星型のおにぎりやそうめんの入ったお吸い物など、食べやすくてとんの好きなメニュー。
お迎え後、私にくっつきながらもごはんをじーっと見つめ、ついに私にぎゅーっとくっつきながらおにぎりを完食したのです。
その後、私と一緒なら食べる、ということが3回ほど続きました。

そして昨日。お迎えに行ったら、いつもテーブルにとんの手つかずの給食が乗っているのに、ない。
保育士さんがにっこり笑って「食べました。」と!
ついに、とん、保育園の給食を私がいない時間に食べることができました。
チャーハンを完食、おつゆはお代わりをしたそうな。
しかも保育時間中1回も泣かなかったらしい。
お迎え時もご機嫌で、「デンシャ!デンシャコー!」(なぜか「コー」をつける)と言って、壁に貼ってある電車の写真を指差しニコニコ。


ゆっくりゆっくり、外の世界に出て行くとん。
考えてみれば、わずか1歳11ヶ月。
今までは私(母親)とずっと一緒で、母親と一緒にいれば死なずに生きてゆけるというのが唯一の彼の土台だった。
それが突然見知らぬ部屋、見知らぬ人たちの中の放り込まれ、母親の姿が見えなくなってしまう。
これがどれほど危機迫るものだったのか、考えただけでも涙腺が緩んでしうまうのです。
彼は泣きながら母親の姿を求めるのです。生きるために。
でも何回か経験するにつれて、ここでもどうやら安全に生きていけるらしいと知るようになる。
母親がいなくても楽しいことがあり、美味しいものもある。
そうやって1歳児は保育園に慣れていく。
そうやって1歳児は初めて母親を捨てる。

これから何度母は捨てられるのだろう。
母も子ももがき苦しみながら捨てて捨てられて、歳を重ねていくのですね。

とん、大いに母を捨て、大きな土台を自分で作って、大きな人になれ。
母はずっと味方だから。


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posted by ふゆ at 15:11| Comment(0) | 子育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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