2017年12月28日

年末


1年というくくりがあって良かった。
「今年はこうだった」「来年はこうしよう」
って思うサイクルが自然に来ることがありがたい。




リトルミイ(ムーミン)の言葉が意外と刺さりますよ〜。


みてるわよ、あなたがしていること。
あのね、神様じゃないわよ。
もうひとりのあなたをみているのよ 見放されないようにね 嫌われないようにね。



自分と向き合うには1人になるんじゃないわ。
いろんな人と関わりあうのよ。
お友達とおままごとしろって言っているんじゃないの。
自分の知らない、自分を知らない人達と関わりあうのよ。
見えてくるわよ、本当の自分が。



そうね、明るくしているほうが楽しいわね、明るい人にとっては。
けど、暗い人には疲れちゃうわよね。
だからね、楽しくするってより、楽にする。
なのよ。





ラベル:自分のこと
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posted by すっこ at 18:16| Comment(0) | 私のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月24日

子供のころの感情の記憶


最近自分が子供のころの感情を、色鮮やかに思い出すことが多くなりました。


ぴよととんの子育て中であることはもちろん、演技のワークショップで小学生~中学生を間近で見る機会を得たこともあると思います。


つい最近蘇ったのは、「大人に質問されたとき」の感情。

これは、先日のワークショップで風邪気味で体調悪そうな女の子がいて、先生に「具合悪い?できそう?」と聞かれたんだけど何も答えず、先生もほかの子たちもちょっと困ってしまった、というシーンがありまして。

その場は、日頃から気配りができて女子力の高い中学生のお姉さんが優しくサポートし、「見学してる」という答えを本人から導き出してくれて収まったのですが。
(こういう資質のある女の子、今でも本当に憧れます。)

私はといえば、大人なのに、ただ見守ることしかしなかったわけですが。
あー、大人なのにね・・・。

そんな自己嫌悪な感情もありつつ、ワークショップが終わって帰路につきました。

いつものように演技レッスンで得た充実度満点、目から鱗の内容を脳内で反復していると・・・、なぜかあの体調悪かった女の子の立場に私は入り込んでいました。



大人から、「どうする?」と聞かれたとき。

子供のころの私は、何も答えられませんでした。

なぜかというと、自分が大丈夫かどうか、考えても本当に分からないから。
やればできそうな気はする、だけどいつもと違う体調であることは確かで、これが「大丈夫」に当てはまるのか、「やめたほうが良い」に当てはまるのか。
このままやったらどうなるのか。やらなかったらどうなるのか。
先生は、ほかの子たちは、母親はどう思うのか。
・・・・そんなことをぐるぐる考えて。

普通なら、適当な見切りをつけて答えるわけです。
「大丈夫」とか、「見学してる」とか、「帰る」とか。
大丈夫かどうかは、医者じゃないし、子供だし、分からないのは当然で。
どうしたいか踏ん切りをつけて、「適当に答える」ことができるわけです。大抵は。

でも、私は、自分で言葉を使って発信することは、本当に正しくなければいけない、責任の持てることでなければいけない、みたいに多分、思っていて。
責任の持てないことは言えないのです。
だから黙ってもじもじとしてしまう。


特に大人や集団に対して。
仲良しの友達との会話では、そんなことはありませんでした。
そこが幸いだったな。


そんなシーンを何回か体験しているのでしょうね。
「私の答え待ち」の、圧力に押しつぶされそうな、シーンと静まり返った空気を、その中でグルグルグルグルと考え続ける私を、なんだか鮮やかに思い出してしまったのです。

自分の中の問題なのだから、外から見て正しいかどうかなんてないはずなのですが、そこまでは分からなかった。
きちんと正しいことを答えなきゃ。
先生から、みんなから、親から、そうだね、正しいね、と思ってもらえる答えを言わなきゃ。
自分を適当に発信することはいけないことだと思っていた。



あ、今回のワークショップのあの女の子は、私とは違うと思いますけれどね。
たまたま具合悪くて答えられなかっただけ、かもしれない。



大人になって、やっと、良い意味での「適当」の大切さが分かるのです。
今でもまだまだ、適当に対するコンプレックスは持っているのだけれど。




一つ思い出した。

小学校5年生ぐらいのころ。
授業?HR?で、給食の白衣のたたみ方が議題になってて。
「普段どうやってたたんでいるか、前に出てきてやってみて」と先生が言い、私を含んだ数名が当てられて、みんなの前に出たのです。

もちろん、私は自分でいつもやっているたたみ方がありました。
でも、それが正しいたたみ方かどうか分からない!と思ってしまって。

ほかの子は適当にたたんでスムースにこなす中、私は白衣を持ったまま、どうしてもたたむことができなかった。
いつもやっていることなのに、どうしても手が動かない。

私だけ教壇に残され、みんなが「できないの~?!」とざわつき始めます。

業を煮やした先生が「もういいよ。普段やっていないとできないんだぞ。いつも丸めて入れてんのかー?家のお手伝いとかしないんだろー。」とか、ちょっと冗談めかして言い、私は席に戻ります。

みんなが笑う中、私はニヤニヤするしかない。

いや丸めたことなんてないし。
たたんでるし。
家の手伝いするし。
という思いの中。

悲しかったけど、悲しさを出してしまったらまたそれがクラス単位で問題になってしまう。
なんだどうした?となってしまう。
それはごめんだから、ただニヤニヤして、ほとぼりが冷めるのを待つ私。

当然先生からは「引っ込み思案」「自分では何もできない」「いつも人の影に隠れている」「お母さんは甘やかしすぎなのでは?」と評価され、通知表にも書かれるわけです。



今考えると、どうしようもなくアホですね。
結果的に自分が「できない子」レッテルを何重にも貼られていくことになるのに。
それぐらい分かっているだろうに。


このエピソードをはっきり覚えているということは、自分なりに精神的ショックが大きかったのかもしれない。
自分に対する評価を気にするが故の行動なのに、かえって自分の評価を下げまくってしまう、ままならない自分。



こんなことを思い出したから、どうってわけでもないのですが。
アホだったなあ、と思うしかないのですが。

大人になった今、子育てをする今、子供に触れる機会の多い今、
私は子供の世界を追体験しているわけです。



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posted by すっこ at 16:59| Comment(0) | 私のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月22日

演技の勉強・2


今年の5月のこと。
私の住んでいる地域で、ある劇団のワークショップが開催されるというのをたまたま知り、参加することにしました。

そろそろ演じる機会が恋しくなってきていたし、プロの女優さんが演技指導をしてくださるとのことで。
内容がちょっと特殊で、自分の負の部分をさらけ出すことが必要な企画だったので悩みましたが、演じたい気持ちが勝ちまして。


日曜だったので子供たちはひろさんにお願いし、5月~7月の全4回のうち3回参加したワークショップ。
その「さらけ出し」はすごく緊張・葛藤ありましたが、久々の演技はとても楽しくて。
今まで演技レッスンはいろいろなところで受けましたが、ここで指導してくださった先生のレッスンが一味違って。
細かい指摘も、「ああ、こういうことか!」といちいち腑に落ちるのです。で、やってみるとすごくしっくりくる演技ができる。


それもそのはず、後から知りましたが、指導してくれている女優さんは、自身も数々の作品に出演されてきている一方、指導者としても子役を育て、教え子たちがどんどん映画、CM、ドラマ、舞台などに進出しているなど、多くの実績を持つ方だったのです。

この私の地元での全4回ワークショップとは別に、現在進行形で独自の演技のワークショップを開催されていて、子供から大人まで、初心者からベテランまで、門戸を広く開けているらしい・・・と知り、
演技をしたい気持ちが膨らんでいた私は、そこに弟子入りを決意いたしました。


といっても、別に今すぐ何かに出演したいとかではなく、あくまで子育て優先生活。
ワークショップで定期的に演技に携わらせてもらい、自分を解放する機会を作る、という意味です。


子育てしてると、「考える」という時間を失いがちなのですよね。
何か心に引っかかることとか、選択に迷うこととか、日常的にあるけれど、子供たちは常に待ったなしなので、深く考える余裕などない。
それが後悔や不安につながったりね。

演技は自分と向き合うことだから、その時間を持つことは、日常すべての充実感につながるはず。
そう思って、参加を希望したのです。



いざ、そのワークショップに参加してみたら・・・

想像以上に刺激的、そして緊張と消耗でぐったり!


参加している子供たちはほとんどが事務所所属で実績のあるプロの子役さん。
その吸収力、消化力、放出力に圧倒されます。

一方大人たちはほとんどが演技初心者。これまでの人生で身につけてしまった羞恥やら仮面やらをものすごく頑張って脱ぎ捨てて演技を爆発させ、子供たちはそれを見てキャーキャー笑います。

大人は、いわば「胸を借りている」プロの子役たちの前でなければあんなに爆発させることはできないだろうし、
子供たちは笑っていながらも、一所懸命な大人のカッコ良さを心に焼き付けている、はず。


そんな空間に、月2回ほど通うことにしました。


まだ2回しか参加していないけど、心境の変化は・・・

どうかな、相変わらずイライラしたり感情的に怒ったりしてるけど。



ただ、「○○ちゃんのママ」とかいう呼ばれ方が以前より嬉しく感じるようになったかも。

子供関係で知り合いになると、「○○ちゃんのママ」という呼び方をすることがありますが、多くのママたちはこれにすごく違和感を感じているのです。
”私は「○○ちゃんのママ」という名前じゃない。ちゃんと××という名前がある!”って。
ぴよの幼稚園の時のママ友たちはこれを意識して、最初から「名前で呼びあいましょう!」という提案があって名前で呼び合っていますが。

私自身は、「○○ちゃんのママ」にそれほど嫌悪感は感じていなかったものの、子供と全く関係ない話題の時に「ぴよちゃんママは・・」と言われると、やはりちょっと変な感じはしました。

でも、今はむしろ「ぴよちゃんのママ」「とんくんのママ」と言われることが嬉しいような、
「そうそう、私はぴよの・とんのママなのよー」と肯定したくなるような。
あ、もちろん名前で呼ばれても嬉しいですけどね。


これが演技の勉強と直接関係しているのかはわかりませんが…、

演技そのものにしろ、「私が演技に携わる道を選んだ!」という充足感にしろ、プラスの働きがあることは事実だと思います。



ワークショップは、家からちょっと遠いし、一日がかり。


私が「疲れたー」と思いながら帰ってくると、ひろさんが子供たちにまみれてもっとぐったりしていますがね。



ラベル:演技
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posted by すっこ at 16:51| Comment(0) | 私のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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